Date:2025-05-20
Field recordingのための音響学習/第3回:聴覚心理・ラウドネスと空間音響
フィールドレコーディングは単なる音の記録だけでなく、録音者の思考も含まれます。「その場で聴こえる感覚」をいかに的確に捉え、再現するといった場合、人間の聴覚特性や空間音響、音響心理学を知る必要があります。

Fieldrecordingのための音響学習
第3回の本記事では、録音対象の”意図” と “聴感” に合致した記録と編集のために、「人間の聴覚の特性」、の「音の “聞こえ方” の原理」、「空間における音の拡がり方」ついてのまとめです。
Field recordingのための音響学習/第1回:音の基礎理解
Field recordingのための音響学習/第2回:録音と信号処理の理解
1. 聴覚の特性とラウドネスの理解
音の大きさは単純にデシベル(dB)だけではありません。人間の聴覚は非常に複雑な仕組みでできており、音の大きさは様々な環境や要因からくる周波数によって異なります。
等ラウドネス曲線(Fletcher-Munson Curve)
第1回でも触れた音の大きさの主観的な数値にラウドネスがあります。人間の耳はすべての周波数帯域を均等に感じるのではなく、周波数によってその感じ方にばらつきが生じます。
FletcherとMunsonによって1930年代に示された等ラウドネス曲線は、異なる周波数に対する人間の感度の違いを示しています。人の聴覚は、特に2〜5kHzの中高域に対して感度が高く、これが録音時のマイクポジションやEQ設計に影響します。たとえば、風や波といった広帯域な自然音を収録する際は、中域の強調により「耳に近い印象」が与えられます。

LUFS(ITU-R BS.1770)
LUFS(Loudness Units relative to Full Scale)とは、ITU(国際電気通信連合)が定めたITU-R BS.1770勧告に基づくラウドネスの単位で、音の知覚的な音量(ラウドネス)を測定するための基準となります。作品の平均的な音量やピーク、ダイナミクスを視覚的に管理し、特に放送・配信・マスタリングなどのオーディオ制作現場で非常に重要になります。
フィールドレコーディングでは、自然音の持つ「静けさ」や「ざわめき」のダイナミクスを意識的に扱うためにも、LUFS基準での整音は大いに役立ちます。
- Loudness Units relative to Full Scale(LUFS)
→ フルスケール(0 dBFS)を基準とした単位。デジタル信号の最大値との相対値でラウドネスを示す。 - 人間の聴覚特性(周波数感度)に近づけた重み付け(K-weighting)を使用。
- ピークではなく、知覚的な平均音量を測定。
LUFSの代表的な測定方法:
指標 | 説明 |
---|---|
Integrated LUFS | トラック全体の平均ラウドネス(最も一般的) |
Momentary LUFS | 約400msの短期間の平均 |
Short-Term LUFS | 約3秒間の平均ラウドネス |
True Peak dBTP | サンプル値を補間して、実際のピークを正確に計算した値(インターサンプルピークを検出) |
ITU-R BS.1770とは?
TU-R BS.1770は、放送やストリーミングにおける音量の標準化を目的として策定された勧告。主に番組・広告・曲間の音量のばらつきを抑えることが目的とされています。
プラットフォーム・用途 | 推奨LUFS(Integrated) | True Peak上限 |
---|---|---|
YouTube | -14 LUFS | -1.0 dBTP |
Spotify | -14 LUFS | -1.0 dBTP |
Apple Music | -16 LUFS | -1.0 dBTP |
放送(日本) | -24 LUFS(ARIB) | -1.0 dBTP |
2. 空間音響の基礎と録音技術
フィールドレコーディングにおいて、音を「どのように空間的に捉えるか」は、その表現の深度や臨場感に大きく関わります。音源の位置や周囲の空間の響きを適切に記録することで、没入的な音風景(サウンドスケープ)を再現することが可能となります。
ステレオ録音
ステレオは最も基本的な空間録音方式の一つで、2つのマイクチャンネル(L/R)を使って左右の音場を記録します。マイクの角度や配置によって定位感を調整し、音源の左右の位置や広がりを再現します。ただし、上下方向や奥行き(前後)の空間情報の再現には限界があり、あくまで「平面的な音場」の再現にとどまります。とはいえ、そのシンプルさと汎用性の高さから、現在も幅広い現場で使用されています。(第2回:録音と信号処理の理解/マイクの種類と選び方)
バイノーラル録音
バイノーラル録音は、人間の聴覚の仕組みを模倣した録音方式です。ダミーヘッド(人の頭部を模したマイク)やイヤーマイク(耳に装着するタイプ)を用いて、実際に人間がその場にいたときと同じような鼓膜への音の到達を記録します。この方法では、頭部による回折や反射、左右耳間の時間差・音圧差なども自然に取り込まれるため、ヘッドフォン再生時に極めて自然で立体的な音場を再現できます。特に、実在感や臨場感を重視するサウンドスケープの記録において有効です。
バイノーラルマイク Adphox BME-200
米3Dioのバイノーラル録音用マイク
Ambisonics(アンビソニックス)
Ambisonicsは、球状の音場全体を多チャンネルで記録・再生可能な空間音響技術です。特定の方向の音だけでなく、上下・左右・前後を含めた360度すべての音情報をベクトル的に収録します。
録音後に任意の方向へ音場を「再構築」できるという特徴を持ち、聴者の視点に合わせて音像を自由に再配置できるのが強みです。そのため、バーチャルリアリティ(VR)や360度映像との親和性が非常に高く、近年では自然環境の没入的記録や、インタラクティブな音体験においても活用が広がっています。
H3-VR ZOOM
RODE Microphones ロードマイクロフォンズ NT-SF1
種類 | 特徴 | 使用例 |
---|---|---|
ステレオ | 2ch。定位と広がりを再現 | 音楽、動画 |
バイノーラル | 耳型マイク。3D定位感を再現 | VR、アート |
Ambisonics | 球状音場を多チャンネルで記録・再生 | インスタレーション、ゲーム |
反響・定位と空間印象:音で空間を描く
録音された音が「どのような空間で鳴っているか」を聴者に伝えるためには、反響(リバーブ)や音の到達における差異といった空間的手がかりが重要な役割を果たします。
● 残響(リバーブ)
壁面や床・天井などに反射して戻ってくる音の成分(残響)は、空間の広さや素材、構造を感じさせます。例えば、コンクリートの地下空間では硬質で長い残響が、森の中では柔らかく短い反響が得られます。残響の質と量を意識して録音することで、その場所の物理的特徴をよりリアルに伝えることができます。
● 時間差と音圧差による定位
人間は、左右の耳に到達する音の時間差(ITD: Interaural Time Difference)と音圧差(ILD: Interaural Level Difference)を用いて、音源の方向を知覚しています。バイノーラル録音などでは、これらの差異が自然に再現されるため、音源の位置を正確に感じ取ることができます。また、正面・背後・斜めなど、頭部による遮蔽効果(頭部伝達関数)も空間印象に影響を与えます。
● 空間印象の創出と録音意図
これらの音響的要素を「意図的に活かす」ことで、ただの記録ではなく、「その場所にいるような感覚」を聴者に与えることができます。たとえば、特定の方向から鳥が飛び立つ音や、ゆっくりと回り込んでくる風の音などを記録することで、時間軸と空間軸の両面で立体的な体験を演出できます。
3. 音響心理学の視点
マスキング効果と知覚の選択性
環境音の録音においては、聴かせたい音が他の音によってかき消される「マスキング効果」に注意する必要があります。たとえば、都市部での収録時には交通騒音が鳥の鳴き声や水音などの繊細な音を覆い隠してしまうことがあります。
また、聴覚には「選択的注意(カクテルパーティー効果)」という性質があり、聴く対象に意識を向けることで、雑音の中から目的の音を拾うことができます。これを応用すれば、作品において意図的に「聴かせたい音」を浮き立たせる演出も可能です。
音記憶と認知
私たちが音を「意味あるもの」として認識するには、記憶と文脈が深く関係しています。ある音が、過去の出来事や情景と結びついて心象風景を喚起するように、録音物もまた、単なる音の波形ではなく、鑑賞者の記憶と結びついた感情体験の引き金となります。
4. 音の分類と国際的な評価基準
R. Murray Schaferによる音環境の分類
サウンドスケープ理論の創始者であるR. Murray Schaferは、音を「キーノート(背景音)」「シグナル(注意喚起音)」「サウンドマーク(文化的に象徴的な音)」の3つに分類しました。この分類は、フィールドレコーディングにおいて対象音の文脈的価値を捉える手がかりとなり、録音設計や編集方針の構築に役立ちます。
- キーノート(基調音):環境の背景に常にある音(例:風、冷蔵庫)
- シグナル:注目される音(例:鐘、話し声)
- サウンドマーク:その場所を象徴する音
参考文献/世界の調律 サウンドスケープとはなにか R. Murray Schafer
ISO 12913(音環境の認知的評価)
ISO 12913は、サウンドスケープに関する国際標準です。ISO 12913-1:2014では、音環境を「どのように感じるか」という知覚的側面から評価、「静けさ」「活気」「心地よさ」といった指標で音を捉えることで、録音物の印象を定量的に分析・比較することが可能になります。これはアート作品の解説やサウンドスケープ調査、都市音環境の設計にも応用されています。
- 音の質的評価に基づいたサウンドスケープの分析フレーム。
- アートだけでなく都市設計・環境評価にも応用。
5. 実験例と応用
実験A:バイノーラル録音による移動音源の再現
ダミーヘッドまたはイヤーマイクを用いて、通過車両や歩行者など移動する音源を録音します。再生時に、音像の移動がどれほど自然に感じられるかを検証し、ITD(音の時間差)やILD(音圧差)の影響を体感的に理解します。
- 目を閉じてバイノーラル録音を聴く。
- 音源が動く位置(前後左右)の知覚を記録。
実験B:マスキング効果のABテスト
特定の音素材に対し、環境音の有無を条件とする2つの音源を用意し、どちらがより明瞭に聴こえるかを評価します。これにより、環境音が聴感に与える影響を実践的に体験できます。
- 自然音単体で再生し、聞き取り。
- 背景に音楽を加えて再生し、変化を比較。
どちらも、録音・再生環境による聴感の差を体感することができる面白い実験です。
音による脳への記憶
音は単なる物理現象にとどまらず、空間や感情、記憶と結びつく深い体験です。今回紹介した「ラウドネス」「空間音響」「聴覚心理」の視点を理解することで、フィールドレコーディングにおける音の捉え方と表現力が格段に向上します。
次回は最終回として、「アート・科学・環境への応用」を取り上げます。録音という行為が、どのように社会や文化、自然環境と接続し、意味を持ち得るのかを探ります。
参考文献
The Soundscape / R. Murray Schafer
聴覚心理学概論 / Brian C.J. Moore
AES: Ambisonics and Binaural Guidelines(PDF)
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